京都アニメーション




: ポンポコ名無しさん
5年前の7月18日、京都市伏見区にあった
「京都アニメーション」の第1スタジオが放火され、
社員36人が亡くなり、32人が重軽傷を負いました。

事件から18日で5年となり、現場となったスタジオ跡地では、
亡くなった社員の遺族や京都アニメーションの八田英明社長など
会社関係者およそ140人が出席して追悼式が開かれました。

追悼式は事件が起きた時刻の午前10時半すぎから始まり、
はじめに全員で1分間の黙とうを行いました。

このあと追悼の文字があしらわれた祭壇の前に
会社の従業員が立ち
「悲しみは変わらず胸のうちにあり、時間によって傷が癒えることがなくとも、作品を作り続ける限り、作品に込められたおもいや志もまた、未来へ届き続けるのだと信じています」
と弔辞を読み上げました。

そして、八田社長が
「36人の仲間は当社を代表する、日本を代表するクリエーターでした。今後もみんながのこしてくれた志を胸に、作品をつくり続け、そして届けてまいります」
とあいさつしました。

祭壇には亡くなった社員を表す36本のひまわりの花が飾られ、
出席した人たちは献花をし祈りをささげました。

京アニ 約4割の社員が事件に巻き込まれ
京都アニメーションには当時、176人の社員がいましたが、
このうちおよそ4割の社員が事件に巻き込まれました。

会社によりますと、ことし4月には10人が新たに入社し、
現在およそ180人の社員が在籍しているということです。

事件でけがを負った社員の中には、
治療を経て復帰している人もいますが、
現在も復帰できずに療養を続けている人もいるということです。

従業員代表の弔辞

「第1スタジオがあったこの場所に来ると、建物が失われたことで、ここから見える空は広く、大きく開けて見えます。それがとても空虚に感じられ、 同時に心に空いた大きな穴を実感させるのです。5年たった今でも、大切な仲間を亡くしたという喪失感が、変わらず胸のうちにあります。

第1スタジオは私が入社して初めて席を置いたスタジオでありました。身を寄せ合うようにして置かれた机は、仲間との距離を近くし、結束を築き上げる助けになっていたように思います。『寄ってたかって作る』を形にしたかのようなスタジオでした。

その後のスタジオ移動やスタジオ分散は何度もありましたが、たくさんの思い出が育まれた制作現場でもありました。アニメーターとして生きる自分の原点がここで築かれたのだと感じます。

この場所でたくさんの作品を生み出してきましたね。皆と過ごしたものづくりの日々は今でも色あせることはありません。ここに根ざした思い出がたくさんあるほどに、失われたことの悲しみを、感じずにはいられないのです。

この5年間、私たちは真摯(しんし)にものづくりに打ち込んできました。多くの仲間を亡くし、それでも作品作りを続けるのは、それによってたくさんの人に喜びや感動を届けること。そう志して集まった皆のことを思えばこそ、ものづくりに真剣に向き合うことが私たちなりの弔いになると信じているからです。

世界中にファンの方がいて応援の言葉をくださいました。たくさんの人が励ましの気持ちを送ってくださるのを見て、これまでのものづくりや作品が、本当に多くの人に届いていたのだと実感すると共に、作品を通して皆の想いが息づいているのを感じました。応援の言葉ひとつひとつの中に、作品に関わった一人ひとりの存在が感じられるようで、有難く、救われる思いでした。これからも私たちは作品を作り続け『志』を未来へつないでいきます。

悲しみは変わらず胸のうちにあり、時間によって傷が癒えることがなくとも、作品を作り続ける限り、作品に込められた思いや志もまた、未来へ届き続けるのだと信じています。皆との思い出はもう増えることがありません。それが本当に寂しいです。どうか、正々堂々とものづくりに臨む私たちの姿を、これからも見守っていてください」

八田社長の挨拶

「5年という月日は、あっという間に過ぎ去りましたが、ご家族の皆様にとって、さぞかしつらい日々をお過ごしのことと思います。このような事件が起きてしまい、大事なご家族を守れなかったことは断腸の思いです。まことに申し訳なく存じます。

私どももこの5年間、必死で過ごしていました。作品をつくり続けることが皆の思いを引き継ぐことと強く胸に刻み、一歩一歩歩んでまいりました。5年がたって、改めて振り返ってみて、36人の仲間は当社を代表する、広い意味において日本を代表するクリエーターであり、将来確実にそうなるであろう仲間たちでした。人間的にも魅力ある、そうそうたる人たちでした。

その仲間を亡くしたその時の無念さ、憤りは相当なものでした。経営的には、会社を継続できるのか、相当な不安、懸念がありました。ただ、会社を守り、彼ら彼女たちの生きざまをどう引き継ぐのか、作品をどうつなげるのか、そういう一心でスタッフが目を真っ赤にして机に向かっていた様を思い出します。

5年の間に、3本のテレビシリーズ、6本の劇場映画を制作してきました。直近では、皆とともに作ってきた大事な作品であります『響け!ユーフォニアム』シリーズの新作を公開しました。昨年8月には『特別編 響け!ユーフォニアム~アンサンブルコンテスト~』を劇場で公開、そして今年の4月には『響け!ユーフォニアム3』をテレビ放送したところ、大変ありがたいことに非常に多くの反響をいただきました。

吹奏楽にかける青春を描いた本シリーズの制作は、並大抵ではない相当な技術が要求されます。みんなからの思いや技術を引き継いで、スタッフ一人ひとりが最大限の能力を発揮し、見事に作り上げてくれました。その情熱がご視聴いただいた方々に届いたことは、この上なく喜ばしいことでございます。今後もみんなが遺してくれた志を胸に、作品をつくり続け、そして届けてまいります。

また、先日の7月14日には『志を繋ぐ碑』を宇治市に寄贈いたしました。ご家族の皆様には、お力添えとご理解をいただき、まことにありがとうございます。碑の建立にあたり、ここにおられますご家族代表の皆様には、慰霊碑建立委員会を始め、大変ご尽力をいただきましたこと、改めまして御礼申し上げます。

そのほか碑の建立に携わっていただいた関係者の皆様のお力添えをいただきまして、碑の建立を実現することができました。『志を繋ぐ碑』が、多くの方々にとって思いを寄せる場所になりましたら幸いです。『志を繋ぐ碑』に続きまして、ここ第1スタジオ跡地につきまして、慰霊碑や建物等、具体的に検討してまいります。引き続きお力添えのほどよろしくお願いいたします」


京都アニメーションの本社がある京都府宇治市の公園に
ことし新たに設置された事件を伝える碑にも、
ファンなどが訪れて亡くなった人たちを悼みました。

京都府宇治市の「お茶と宇治のまち歴史公園」には
今月、事件を伝える碑が完成し、
亡くなった36人を表す36羽の鳥が羽ばたく姿がデザインされています。



事件から5年となった18日、朝からファンなどが集まり、
事件が起きた時刻の午前10時半すぎには
多くの人が黙とうをしたり手を合わせたりしていました。


台湾から訪れた34歳の男性は
「碑ができたと聞いて来ました。京アニの作品は日本の美しい町などがよく再現されていて、モデルとなった町を何度も巡りました。京アニは外国人にとっても重要で日本の財産だと思います。亡くなった方々にはよい作品を作ってくれて本当にありがとうと伝えたいです」
と話していました。

碑は一般に公開されていますが、
京都アニメーションは献花などは控えてほしいとしています。



https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240718/k10014514511000.html

: ポンポコ名無しさん
まだ5年か、と思ったり

: ポンポコ名無しさん
もう5年か

: ポンポコ名無しさん
もう5年前になるのか…
どんどん被害者が増える続報にゾッとした覚えあるわ

: ポンポコ名無しさん
事件当時は知らなかったけど、有名アニメーターが何人も亡くなってたんだな
アニメ見始めてから知ったわ

: ポンポコ名無しさん
本当にひどい事件だったな

: ポンポコ名無しさん
最初に建物からもくもくと煙が出てる映像見たけど
当然みんな避難したと思ってたわ
まさか36人もなくなるとわ

: ポンポコ名無しさん
もう5年?
嘘やろ

: ポンポコ名無しさん
もう5年も経ったのか
昨日の事のように感じる


https://www.2ch.sc/
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ponpokonwes

今年は京アニ発信の動画などもなく
追悼の想いは碑に込めたという印象。
故に記事を作るかどうかも迷いました。
去年もそれ以前もですが
毎年この話に関しては迷うばかり。


過ぎた時間は5年。
もう5年か、まだ5年か。
あの日の京都で感じた焦燥感と喧騒。
ざわついた心の嫌な痛みは
5年を経ても消えないままです。
私のようなありふれたアニメファンが
ただあの日の京都にいたというだけで
今も心を掻き毟られるのだから
被害者の方々もご遺族も癒える訳が無い。
いなくなった人達はいなくなったまま。
生き残った人の生命も
身体の傷が仮に消えても痕は残る。
生きているからこそ残るのだと想う。
そう想う。

検めて、改めて
いちアニメファンとして私は
娯楽を届けてくださる人に対して
感謝と敬意を常に忘れてはならないと
ずっと肝に銘じています。
大仰な物言いに聴こえるかもですが
本当にずっと、なのですよ。
サイトを昔からご覧になっていらっしゃると
事件の前からもずっとこのタヌキ
娯楽を愛し過ぎていると訝しまれるかもだし
事件後では更に強く自覚的に、そうです。

だからこそ言葉と形にしようと決めている。
時に先鋭的にすら成るかも知れないけれど
ちゃんと感謝と敬意を言葉にしなきゃ
そうしなきゃいけないと想う様になりました。
折角こういう場所を作って
今も運営しているのだもの。
忘れずに、声を絶やさない様にと想う。

振り返れば悲しくも痛ましくも想う。
絶対に赦せないという淀み濁った気持ちも消えない。

それこそ直近の作品であるユーフォ第3期に関しても
内容も素晴らしく大盛り上がりで
作者の武田綾乃先生も原作ファンもアニメファンも
京アニが作ってくれるアニメに魅せられた。
毎週その素敵なアニメに満たされた。
その一方で、人非人としか表せない手合いの
度し難い心無い言葉があった。
よくこんな醜悪な言葉を誰か何かに
無責任にぶつけられるものだと呆れるほど
蛇蝎の如く嫌悪と軽蔑を向けるべき人が
放送の度に
この事件を何か愉快なことみたいに弄り回し
彼是と愚にも付かぬ事を繰り返すのを見て
尚更、京アニスタッフも他の誰であっても
そういう手合いに穢されてなるものかと
傷付けさせていい訳がないのだと憤りました。

そういう経緯もあって今年も記事作成なのです。

ただ、碑が設置されたのも含めて
来年以降は京アニが発信するかどうか次第かもです。
私のスタンスに変わりはありません。
しかし、京アニが事件に触れるのをやめて
少しでも穏やかな方へ向かうなら
こんな個人運営の弱小サイトの記事作成すら
却って良くない方へ転がるやもと考えるからです。


あぁ、どうにもこの話題で書き出せば取り止めない。
落ち着かない心が前提になるから当然なのだけれど
だからこそ推敲せず心の揺らぎも言葉にしておこう。

とどのつまり私はアニメファンなので
いちアニメファンとして今後も変わらず
スタジオも作品も応援するということ。
きっとそれに尽きるわ。
そう在りたいとも想うわ

只管にアニメを愛でて楽しむ。
そういう私で在りたいし

そういう私として応援を続けたい
此れは京アニに、京アニ作品に限らず
全てのアニメ、娯楽に対してもそう